菊池 健児
2002年入社
執行役員 FA事業部 事業部長
始まりは、
「働く場所がなくなる」という経験
前職は、大手電気機器メーカーの関連会社。工場で品質管理の仕事などに就いていました。ところが、全社的な方針の変更に伴い、携わっていた事業自体が閉鎖に。遠方への転勤も通達され、家族を抱えた身としてどうするべきか悩みました。
「子供がいるいま、遠方への転勤は難しい」と考え、いったんは別会社へ。ところが、事業内容や環境共に歓迎できるものではなく、「やはり、満足できる転職は難しいのか……」と肩を落としました。
そんな折、以前の職場の先輩社員とばったり遭遇。話が盛り上がる中で、紹介されたのが岡本工業です。当時はまだまだ発展途上にあった会社を見学し、「この会社なら、自分の技術を役立てられるのではないか」と考え、入社を決めました。
一歩ずつの改善で、会社全体に貢献する
入社して十数年。短い時間ではありませんが、やっていることは変わりません。それは、「生産現場の向上」。入って間もない頃、まず手掛けたのは「ルール作り」でした。配属された工場に流れていた“ゆるい雰囲気”に業を煮やし、甘さを排除すべく徹底的に進言。それまで「個数」で計算されていた不良品の数を「損金」としてお金で示すことで、そのリスクを知ってもらう、なんてこともやりました。もちろん、それだけではただの締め付けになるので、「目標の数値まで損金が下がれば、自分が責任を持って昇給させる」と宣言。実際に損金は1/4程度まで下がったので、社長に交渉して昇給も実現させました。売上も約1.5倍まで向上したので、第2工場も設立したんですよ。
現在は、新たに白河工場の工場長として、またFA事業部の事業部長として、様々なことに関わっています。標準化の仕組みや工程および原価の管理など、やることはたくさん。育成も重要なテーマです。自身が転職で苦しんだ分、「この会社を、事業をなくしてはいけない」という気持ちを糧に、日々、邁進しています。
「この会社をなくしてはいけない」
「この会社に入って良かった」と思ったことは、多々あります。中でもやはり“人の温かさ”を感じた瞬間は、忘れがたいものがありますね。地元・福島で起こった東日本大震災時は、その代表的な例です。インフラがことごとくストップする中で、知り合いの社長さんがガソリンの入荷状況を共有して下さったり、関係する運送会社がタンクを用意して下さったりと、数え切れないほどの支援を受けました。
もちろん、従業員同士や地域の方々とも支え合い、共に苦難を乗りきったことを覚えています。それどころか、取引先のお客様まで、物資を送って下さったんですよ。そうしたことを経験する度に、やはり「この会社をなくしてはいけない」と決意します。その一助であり続けたいと、心から思いますね。